アメリカ報告24 ――ハワイ報告・イハラ議員(その2)


 ようやくコスタリカから帰ってきましたが、今回は、前回に続いてハワイのイハラ議員についてのご報告です。

 1951年生まれのイハラ議員は日系3世ですが、すでに日本語は全くしゃべらず、日本というよりは、むしろ幼少期を過ごしたドイツの影響を受けているようです。
 1986年から1994年までは州議会下院議員、1994年から現在は州議会上院議員をつとめています。

 イハラ議員は民主党所属です。ハワイは民主党が強く、州議会は民主党が多数派ですが、イハラ議員の改革志向は民主党議員であっても眉をひそめられることも多いそうで、「そういう意味ではあなた(日本で野党であった私)と同じ立場」と言っていました。

 イハラ議員は幅広くいろいろな成果を上げていますが、中でも大きなものは、上院に「共同議長制」を取り入れたことでしょう。

 ハワイの上院の委員会は、それまで一人議長制をとっていました(もちろん日本もこれです)。そのために、議長は法案についての全権限を持つ王様のようなものでした。イハラ議員によると「一人の人間がすべてのカードを持っており、情報を知らせないことによって委員会を支配していた」のです。

 1997年の議会で、イハラ議員は、マイク・マッカートニー上院議員(この人もジェリー・ジャンポルスキーの親しい友人です。ジェリーによると、イハラ議員かマッカートニー議員のどちらかが、やがてハワイ州知事になるだろうとのことです。マッカートニー氏は現在は上院を離れて、公共放送の仕事をしています)と力をあわせて、共同議長制を実現しました。それとともに、テーマごとに20あった委員会を10に減らしました。共同議長は、それまでの一人議長の2倍の権限を持つことになったのです。

 イハラ議員とマッカートニー議員は、問題が起こると、二人で出向き、共同議長の両方と話をするようにしました。そのことによってグループの力動を育てようとしたのだとイハラ議員は言います。一人が一人を操作したり説得したりするのではなく、話し合い力を合わせて解決するという文化を作ったということです。

 この動きは最終的には強く支持され、イハラ議員とマッカートニー議員は1997年に賞すら受賞していますが、必ずしも最初から理解されたわけではありません。権限を手放したくなかった古い体質の議員の反発はもちろんのこと、ロビイストからも、「二人の議長に話さなければならず、手間が増えた」と苦情が出たり、マスコミにも当初は批判的に報道されたりしたそうです。

 でも、共同議長制は、多くの成果を生みました。議長は、自分の同僚の共同議長の要求を拒否することがほとんどないために、吊るされたままの法案(審議されないままの法案。日本の国会はこれがあまりにも多い)が圧倒的に減りました。同僚の共同議長が「この法案の審議をしたい」と言えば無視することができないからです。

 また、情報の共有は、議会の運営をわかりやすく民主的にしました。これは政治文化を大きく向上させるものです。

 イハラ議員にとって、情報の共有、政治プロセスの透明性というのは、キーワードのようです。「結果がよければ手段は正当化される」という政治文化が民主主義を阻害しているという信念のもと、手段をいかに有権者が見られるようになるかということに心を砕いているのです。政府の情報にメディアがもっとアクセスできるようにメディアを積極的にサポートしてもいます。

 ここまでは政治家としてのイハラ議員の輪郭で、これだけでも十分に感銘を受けるわけですが、イハラ議員の本当の特徴はその人間としての姿勢にあります。次回に続けます。

アメリカ報告23 ――ハワイ報告・イハラ議員(その1)

 昨日ハワイから帰ってきたところですが、今夜はコスタリカに向けて旅立ちます。7月11日にアメリカに戻ってくる予定です。

 ハワイのイハラ州議会上院議員との出会いは収穫がとても大きかったので、取り急ぎご報告させていただきます。
 イハラ議員ご本人の報告に入る前に、アメリカにおける州議会の位置づけを少々ご説明します。日本に比べて地方分権が格段に進んでいるアメリカでは、州の権限が大変大きくなっています。連邦法(国の法律)ももちろんありますが、生活に身近なことは多くが州法で決まっています。例えば、日本は、どこで運転しても国内であれば道路交通法は一緒ですが、アメリカでは、カリフォルニアでは信号が赤でも右折できる(これは大変便利な仕組みです)けれども、できない州もある、など、交通法規も州次第です。法律としては連邦法が上位ですから、連邦法に違反する州法は作れませんが、連邦法が規定してないものであれば、州法で自由に規定することができます。例えば、同性愛者の結婚については連邦法に規定がありませんので、マサチューセッツ州ではそれを認めています。

 国政レベルの重大事項である外交のひどさがあまりにも目につくので、どんなにひどい国かと思っていらっしゃる方も多いでしょうが、実際に暮らしてみると案外理屈の通る良い国だというのも、地方分権の良さなのかもしれません。また、個性的な大都市がいくつもあるので、都市生活しか選択肢のない人でも自分の職業や好みによって住むところを選べるというのも地方分権ゆえの魅力でしょう。
 
 さて、そのように大きな権限を持っている州ですから、州議会は日本の都道府県議会よりもはるかに大きな権限を持っています。州議会を訪ねたところ、上院議員のオフィスは日本の国会議員のオフィスよりも広いものでした。「日本では、県議はオフィスを共有している」と言ったところ、イハラ議員は「それでどうやって仕事ができるんだ」と驚いていました。

 大きな権限を持つ州議会ですが、ハワイ州の場合、上院議員は26名、下院議員は約50名ということです。議場に入ってみると、26名の議場は大変コンパクトでしたが、傍聴席はたくさんありました。各席にはマイクが備えつけられていて、議会中は自席から自由に発言できるそうです(日本の国会では憲法調査会など特殊なものだけがこの形態)。

 ちなみに、上院議員の名前を見ていて気づいたのですが、26名のうち、10名が明らかに日系人です。イハラ議員も日系3世です。ハワイは、カリフォルニア以上に多様性に富んだ土地柄ですが、多数派がいないということが大きな特徴です。選挙で選ばれるようになってからの歴代の知事を見ても、日系人、元祖ハワイ人、フィリピン系、そして現在はユダヤ人、と、多様です。

 このほかに市議会もあります。9名の市議会は、かつては政党制でしたが現在は政党制ではありません。やはり市議会のテーマはいわゆる政治色の薄いものが多いからだそうです。これは私も納得です。

 上院議員は、会期中(1月~5月)は6名、会期外は2名のスタッフを公金で雇うことができます。現在は会期が終わっていますから、イハラ議員のスタッフは2名です。でも、ハワイ州議会では9月に選挙があるため、イハラ議員も遅まきながら選挙準備に入るところで、2名のスタッフのうち1名を、3ヶ月の休暇をとらせて選挙事務所専従にさせるのだと言っていました。「日本では秘書は現職のまま当然のように選挙をやっている」と話すと、大変驚き、「秘書の給料は税金なのに」「それでは新人にとってハンディが大きすぎる」と言っていました。残された1名のスタッフは州議会の事務所に詰めており、地元からの陳情などに対応するのだそうです。そして、私的な時間を利用して選挙の応援をするのだそうです。大変わかりやすい政治倫理です。

 次回はいよいよイハラ議員についてご報告します。

新しいメディア「ode」(その2) ――日本語版を作ろう!

 前回、「ode」をご紹介したところ、ポジティブな反応をいただき、ありがとうございます。

「ode」は、現在購読者10万人で、100カ国の人に読まれているそうですが、もともとは、11年前に、シンクタンクをやっていたある夫婦のアイディアから始まりました(その妻が私の友人のイレーンです)。世界にポジティブな変化を起こすためのネットワークを作りたい。でも、寄付に依存するものではなく、自分たちで収益を上げられるビジネスにしたい。その結果が、ポジティブな変化につながるニュースを配信する雑誌の刊行でした。

 8年間はオランダ語で雑誌を出し続けましたが、世界全体にネットワークを広げるために、3年前にアメリカに拠点を移し、英語の雑誌になりました(オランダ語版も続いています)。イレーン一家もアメリカに移住してきたわけです。

 ポジティブなニュースだけのメディアを作るというのは、イレーン夫妻が初めて考えたことではないはずです。実際に、アメリカで身近な人に聞くと、過去にいくつもそういうメディアが生まれては消えたと言います。「やはり読者はそうでないものに関心を持つんだよね」というのが、私が聞いた人たちの意見でした。こういう意見は、日本でもよく聞いたことがあります。

 ではなぜ「ode」は生き延び、ビジネスを拡張しているのか。その秘訣をイレーンに聞くと、「さあ、わからない」と言ってしばらく考えていました(この質問そのものが意外だったようで、ちょっと驚いていました)。そして、唯一言えるのは、「いろいろな難局があったけれども、雑誌をやめるというのは一度も選択肢にのぼったことはない」ということだそうです。いつつぶれるかわからない雑誌をやっていると、いろいろと胃が痛くなる瞬間があるそうです。特に、お金のやりくりがつかないときには、その問題を抱えたままで眠るということは限りなく辛いことだといいます。イレーン夫妻も、そのような苦労を重ねてきましたが、「やめる」ということは一度も考えたことがないそうです。特にイレーンの夫は「取りつかれたように」仕事に専心しており(もちろん父親としての責任はちゃんと果たしているそうですが)、この仕事を取り上げてしまったら間違いなく不幸になると思う、とイレーンは言っていました。

「ode」は現在、英語版、オランダ語版、ポルトガル語版があります。共同創始者・編集者のイレーンは、日本語版もぜひ出したいと言っています。とても価値のある雑誌です。雑誌関係の方で可能性がある方は、ぜひご連絡ください。

 また、英語版で良いから今すぐに購読したいという方は、「ode」のホームページ(www.odemagazine.com)のsubscriptionをクリックすると、申し込みができます。アメリカだと年間30ドル弱で読めますが、日本で購読すると1年間59ドルのようです。

 なお、イレーンは、4人の子どもを持つお母さんでもあります。オランダでは、4人の子どもというのは多くないのか、と聞くと、「別に多くない。子どもが2人、と聞くと、ちょっと少ないなという感じがする。私の友人は弁護士だけれど、6人子どもがいる」とのこと。オランダでは、教育費もすべて無料(大学も含めて)だし、親が失業しても政府から手当てが出るので心配ないし、保育園の保育料は事業主が負担してくれるし、「これだけ良いことがあるのに、子どもを持たない理由はないんじゃないの、という感じね」と言っていました。妊娠したときも、そういう意味での責任は何も感じず、ただ子どもを持つことを楽しみにできたといいます。そして、実際に、イレーンはとても良いお母さんです。やはり、ヨーロッパの政策は見習うべきです。

★ お知らせ

 6月20日~29日は、ハワイに行ってきます。ハワイの州議会上院議員で、「君は彼と双子みたいなものだ」とジェラルド・ジャンポルスキー博士に紹介していただいた方に会います(双子といっても、年配の男性ですが)。また、ハワイのアティテューディナル・ヒーリング・センターの活動にも参加して、刑務所などを訪問する予定です。一時カリフォルニアに戻った後はコスタリカのセンターを訪問しますので、メルマガの発行がやや不定期になりますが、少しずつご報告させていただきます。

新しいメディア「ode」(その1)

 現在暮らしているベイエリア(サンフランシスコ近辺)は、世界の中でもスピリチュアルなものが集まる拠点の一つだと言われていますが、本当にいろいろなおもしろい出会いがあります。

 その一つが、「ode」(オード)という雑誌です(odeという言葉の意味は、「特殊の主題でしばしば特定の人や物に寄せる叙情詩」)。この雑誌の共同創始者であり編集者のイレーン・デュ・プイというオランダ出身の女性と知り合いになり、親しくする中で、大変感銘を受けましたので、この雑誌について紹介させていただきます。

 メディアのあり方については、今までも何度か取り上げてきましたが、「ode」は、まさにそんな問題意識の中から生まれてきた雑誌です。

「ode」のキャッチコピーには、「世界を救っている実在の人たちの話。現実の問題への解決策。全て良いニュースだけ! この頃あなたは、良いニュースをどのくらい受け取っていますか? 私たちに良いニュースを送らせてください!」とあります。

また、「ode」の推薦文として、パッチ・アダムズ(笑いを医療に取り入れていることで世界的に有名な医師)はこう書いています。「悪いニュースを詰め込まれた市民は、悲観的に、冷笑的になる・・・そうすれば、良い消費者になるだろう。「ode」は、すばらしいことが起こっていることを知らせてくれる。そこで表現されているのは、全人類と環境への愛だ」今のメディアがいかに商業主義や悲観主義によって歪められているかということでしょう。

さまざまな問題を前向きに解決するために、そして、より良い未来を作るために、共有すべき情報やアイディアを共有しようというのが「ode」の基本理念だと思います。

 例えば、「ode」では、以下のようなニュースを伝えています。

■あるキノコ農園では、殺虫剤の使用をやめることで一日あたり25%キノコの収穫量が増えた。どうやったのか。土壌に自然の細菌・真菌・酵母を加えることによって、その農家は、生産量を伸ばし、自分自身と地球の健康を向上させたのである。
そして、これは、カリフォルニアのしゃれた高級農園で起こったことではない。これはタイの田舎の話だ。そこの村人は、化学薬品ではなく微生物を使って、きゅうりや、トマトや、とうもろこしや、米や、マンゴや、魚を育てている。

■ビニールの買い物袋は、下水道を詰まらせ、木にはまり込んでしまう。3つの国(台湾、バングラデシュ、南アフリカ)は、ビニールの買い物袋を禁止した。アイルランドでビニール袋を有料にすることを義務づけたところ、使用量は90%減った。米国では、毎年1000億枚のビニール袋が捨てられている。そして、本当に「捨てる」場所などないということを、私たちは知っている。

■国連では、世界で10~20億人が、何らかのスラムに住んでおり、水道も下水道もなく、法的な権利もなく暮らしていると推計している。でも、スラムの住民は、自分自身の力で向上している! アフリカのあるスラムでは、自分たちの学校を作った。カラチでは、スラムの住民が自分たちの下水道を作った。そしてブラジルでは、政府が、何十万もの小区画の地所を、スラムの住民に譲り、家を建てられるようにした。

次回に続けます。

サンフランシスコ・クロニクル

 先日、うちに知らない子どもが訪ねてきました。最初は何やら怪しげだと思ったのですが、よくよく話を聞いてみると、なかなか興味深い話でした。彼は13歳で近所に住む子のようでしたが、家庭環境を考えると大学に行けない。でも、サンフランシスコ・クロニクル(地元の有力紙)がスポンサーをしているプログラムがあって、彼が新聞の契約をとってくるとポイントが加算されて奨学金がもらえる、というもののようです。

 子どもに新聞の契約をとらせるなんて、と思われるかもしれませんが、75%の割引で、20ドル払うと18週間自宅まで新聞を届けてもらえるのですから格安です。新聞を届けるのは新聞社に雇われている人であって、もちろんこの子どもではありません。「うちはもう18週間もいないから」と言ったところ、途中で解約すれば返金すらしてもらえる、と彼は言っていました。どう考えてもサンフランシスコ・クロニクルに直接の利益をもたらす話ではありませんので、社会奉仕の一つのようです。サンフランシスコ・クロニクルのホームページをざっと見たところ、このプログラムを見つけることはできませんでしたが、彼は友だちから聞いたと言っていました。

 彼は「契約してくれれば、洗車やゴミ出しなどを手伝います」と言うので、「これは私とサンフランシスコ・クロニクルの契約であって、あなたが奉仕活動をする必要はないのでは?」と言ったのですが、彼は「あなたが私を助けてくれるのなら、私もあなたを助けたいので」という返事でした。では、日本に帰る際に机などを売りに出すとき、力仕事が必要になるようだったら助けてほしい、とお願いすると、快く引き受けてくれました。

 なんともアメリカらしい出来事でした。皆さまはどうとらえられたでしょうか? 
 もちろん、新聞も毎日届いてきます。(オートロックの門の外からの投げ込みなので、1階まで拾いに行かなければなりませんが・・・。これも、アメリカらしいことです)

非暴力コミュニケーション(NVC)

★サマータイム★

 アメリカは4月からサマータイムになります。こちらではDaylight Savings Timeと呼ぶようですが、4月2日から1時間時間がずれます(始まる日は年によってまちまちのようです)。12月にこちらに来た頃は、夜6時に子どもを保育園に迎えに行く頃は暗かったのですが、この頃は7時ごろまで明るい毎日です。これで1時間時間がずれると、ますます明るい晩を楽しめるようになります。東京で育った私としては、朝がなかなか明るくならないのは馴染みませんが、仕事が終わった後にも明るいというのは楽しいことです(私は夜もセンターのグループに行くので、すべてが終わる頃にはさすがに暗くなりますが)。
 ただ、平年であればとっくに終わっているはずの雨季がまだ終わらず、相変わらず嵐などが続いているのには閉口しています。気温もあまり上がりませんし、カリフォルニアらしい日差しを楽しめるのにはまだ時間がかかりそうです。先日はあまりにも珍しい雪まで降って大騒ぎになりました。私の周囲のアメリカ人は、「地球が温暖化しているのに、なぜここだけ寒くなるのだろう」と不思議がっています。

★非暴力コミュニケーション(NVC)★

 さて、今日は、「非暴力コミュニケーション」について少々ご紹介したいと思います。バイロン・ケイティの「ワーク」と同じく、アティテューディナル・ヒーリングと直接関係のあるものではありませんが、きわめて親和性の高い内容を持つものです。また、対人関係療法を通してコミュニケーションの問題に取り組んできた私には、とても納得のいくものです。

 アティテューディナル・ヒーリングにしても、バイロン・ケイティにしても、そして今日ご紹介する「非暴力コミュニケーション」にしても、いずれも、個々人の「意識」に焦点を当てたものです。ものの受け止め方、自分の感じ方については、自分自身が責任を持たなければならない、という考え方が基本にあります。

 これは、とても大切な考え方だと思います。歴史を振り返っても、一番危険なのはヒトラーや小泉純一郎のようなエキセントリックな人物ではありません。そういう時代に、ほとんど無意識のままに流されていった人たちが、一番危険だと思うのです。「だって、社会がこんなだから」「だってうちの国の首相は異常だから」というような理屈で、自分の意識を問い直すこともせず、そのまま流されていくことが、歴史の流れを作ってきたのです。

 実は、これは国家レベルの話だけではありません。例えば、DV(ドメスティック・バイオレンス)などについても、加害者が「だって妻が私を怒らせるようなことをしたから」「私のプライドを傷つけたから」というような理屈を述べるのが常です。「妻がやったこと」と「自分の感じ方」を無条件に結びつけているというのが大きな特徴です。

 「非暴力コミュニケーション」は、このような結びつけ方を問い直すものです。そして、相手について何かを決めつけるのではなく、自分自身の感情や要求を表現するようにします。
 例えば、相手が自分に挨拶をしなかったとき。
「挨拶もしないで何という失礼な人間だ」と怒るのは、非暴力コミュニケーションではありません。相手を裁いているだけだからです。

また、「あなたは私を無視した」とか、「私をないがしろにした」というのも、非暴力コミュニケーションではないのです。まだまだ、重点が相手側にあって、自らの内部の感情を表現できていないからです。

 非暴力コミュニケーション的に言うとすれば、「あなたが挨拶をしてくれなかったとき、私は悲しかったし腹が立った。なぜなら、人から尊重されたいという私の要求が満たされなかったから」というような内容を述べるのです。

 あなたが相手側の立場だとして、「挨拶もしないで何という失礼な人間だ」といきなりののしられるのと、「あなたが挨拶をしてくれなかったとき、私は悲しかったし腹が立った。なぜなら、人から尊重されたいという私の要求が満たされなかったから」という趣旨を述べられるのと、どちらを暴力的だと感じるでしょうか。そして、どちらであれば、自己防衛に走らずに、もっと相手に対して親身になれるでしょうか。

  非暴力コミュニケーション(NVC)を始めたのはマーシャル・B・ロゼンバーグ(Marshall B. Rosenberg, Ph.D.)ですが、彼の本の序文で、アラン・ガンジー(マハトマ・ガンジーの孫。ガンジー非暴力研究所の創設者兼代表)は、祖父との思い出を述べています。非暴力主義で知られるガンジーですが、身体的な暴力だけに注目していたわけではありません。むしろ重要なのは心理的な暴力であって、身体的な暴力はその一つの爆発の形であり、身体的な暴力に「燃料を供給する」のが心理的な暴力だということを述べていたそうです。ですから、日ごろのコミュニケーションをいかに非暴力的に行うか、ということにマハトマ・ガンジーも力点を置いていたそうです。ガンジーの哲学は「社会にもたらしたい変化に、まず自分がなるべきだ」というものですが、暴力のない世の中を作りたいのであれば、まず自分が使う言葉から気をつけなければならないということでしょう。

  政治の世界においてこれは特に重要なことであると同時に難しいことなのですが、不可能なことではないと思っています。現在、この点で尊敬できるハワイの上院議員といろいろなやりとりをしていますし、6月末にはハワイを訪問して懇談することになっていますので、またご報告いたします。

 非暴力コミュニケーションにご関心のある方は、
http://www.cnvc.org/index.htm へどうぞ。英語のウェブサイトです。
 私が知る範囲では、まだ日本語訳された本はないようです。

 アメリカに来て良かったことの一つに、しっかりした本をたくさん読めるということです。日本における出版業界の斜陽ぶりは目に余りますが、自分の著作を出すときにも「一文ごとに改行してください。そうしないと日本の読者は読みませんから」と言われたことがあります。200ページ以上のペーパーバックを普通に読みこなしているアメリカ人を見ると、国の将来の違いが見えてくるようです。また、アメリカでは、本を読むのが苦手な人のために、カセットテープやCDも大変はやっています。

 日本語で非暴力コミュニケーションについてもっと知りたい、というご希望が多いようでしたら、このメルマガでもまたご報告させていただきます。

アメリカ報告8 ――米国の刑務所で「ワーク」をやってきました――

 3月6日、カリフォルニア州のサン・クエンティン刑務所(男子刑務所)に行きました。「ワーク」というグループのためです。
これは、アティテューディナル・ヒーリングそのものではないのですが、アティテューディナル・ヒーリングで長い間中核的な役割を果たしてきたキャシーという女性が橋渡しをしてくれているものです。

 「ワーク」を考えたのは、バイロン・ケイティという女性です。彼女は、自らがうつで悲惨な状態に陥っていたときに、突然、真実に目覚めた人です。真実というのは何かというと、自分を苦しめているのは現実そのものではなく、現実に逆らおうとする自分の思考だということです。現実がいかに望ましくないものであっても、現実は現実なのですから、「こうあるべきではない」という思考にとらわれてしまうと、自分が苦しむという単純な理屈です。そして、その思考を問い直すための「ワーク」を、世界中に広めています。彼女の最初の著書Loving What Isは名著ですが、日本語にも翻訳されているようです。(人生を変える4つの質問(アーティストハウスパブリッシャーズ))

 私自身も、定期的に「ワーク」のグループに参加して学んでいますので、皆さんのご関心があればもっとご紹介する機会を作りたいと思います。単純ですが、とてもパワフルな手法だと思っています。

 バイロン・ケイティの直弟子(?)にあたるキャシーが、毎週月曜日に刑務所で「ワーク」をやっているというので、私も連れて行ってもらいました。

 刑務所の様子は日本と大差なく、こちらでも過剰収容の問題を抱えているようです。ただ、お国柄か、日本よりはそれぞれが伸び伸びと過ごしているような印象を受けましたし、受刑者が私たちに気軽に声をかけたり挨拶をしたりしてきます。
グループに参加できるのは、開放房(200人以上が巨大なドームに寝泊りしている)に入っている人たちだけだそうですが、そこに参加者を呼びに行くと、「「ワーク」っていうのは、何のワークだ」と、興味津々で近づいてくる人も結構いました。

 グループに参加して、私も一参加者として一緒に作業をしたのですが、なかなか感動的なグループでした。

 「ワーク」の代表的なやり方は、こんなふうです。
 まず、自分が頭に来ていることや不快に思っていることを文章にします。
「・・・なので、私は○○に腹を立てている」という具合です。
それから、この「・・・」の部分だけを抜き出して、「入れ替え」をするのです。

 たとえば、受刑者の一人が、
「私たちを意味もなくロックダウンしているので、管理者に腹が立つ」という文章を作ります。ロックダウン(封じ込め)というのは、私も今日はじめて知ったシステムですが、刑務所では、何かしらの暴動が起きると、それを起こした「人種」が、一定期間グループへの参加などを許可されなくなるのです。人種単位でのこんな懲罰がなぜ許されるのか理解できませんが、暴動にかかわりのない人も、同じ人種であるというだけの理由でロックダウンの対象になります。ちなみに、今日はヒスパニックの人たちがロックダウン中で、グループには白人と黒人しかいませんでした。

 自分には何の落ち度もないことで懲罰を受けるというのはいかにも理不尽なことで、これに腹が立つというのはいかにも正当な怒りです。
 でも、「ワーク」では、こんなふうに考えます。まず、「・・・」として抜き出されるのは「管理者は私たちを意味もなくロックダウンしている」になります。

 「ワーク」で要求される「入れ替え」は、4通りあります。
(1) 自分と相手との入れ替え
(2) 自分自身に向けて
(3) 正反対への入れ替え
(4) 「自分の思考」との入れ替え

 まず、一番簡単な(3)からやってみます。正反対にすると、「管理者は私たちを意味もなくロックダウンしていない」というふうになります。この文章を作ってから、3つの根拠を考えてみます。たとえば、「ロックダウンはさらなる暴力の発生を防ぐので、意味がないわけではない」「彼らは単に決められたことをやっているだけであり、意味なくやっているわけではない」「暴動は確かに人種単位で起こることが多いので、安全の確保という観点からはまったく無意味でもないかもしれない」・・・という具合にです。
 
 ここで重要なのは、何もロックダウンを正当化する必要はないということです。「完全に無意味」というよりは多少ましな根拠を思いつけば、それで上等です。

 次に(4)ですが、「私たちの思考は私たちを意味もなくロックダウンしている」というふうになります。この根拠になるのは、管理者への怒りにとらわれてしまうと、不快なエンドレス・テープを聞かされているようなもので、他の健康な活動ができなくなります。ですから、自らの思考が自らを封じ込めてしまう、というのはその通りだということになります。ここでも管理者を正当化する必要はありません。でも、「管理者が理不尽なことをしたら私たちは怒らなければならない」という思考に取りつかれてしまうと、私たちの自由が奪われるということです。
 (2)は「私たちは私たち自身を意味もなくロックダウンしている」というふうになり、これは(4)とほとんど同じです。

 そして(1)は「私たちは管理者を意味もなくロックダウンしている」となります。一瞬戸惑いますが、これにもまた真実があり、私たちが怒りにとらわれてしまうと、管理者とのやり取りの選択肢が狭まりますし、管理者が私たちに対してできることの可能性を減らしてしまうことにもなるのです。
 
 この「入れ替え」の作業を、バイロン・ケイティは、「轍にはまったタイヤを前後に動かしてみる作業」と呼びます。ただ読み流していると「そんな簡単なことで自分の気持ちは変わらない」と思うかもしれませんが、実際に自分の問題を文章に書いて「入れ替え」をしていくと、本当に目が覚める思いがするものです。ぜひ、試してみてください。

 この「ワーク」の考えは、アティテューディナル・ヒーリングの中核である「物事のとらえ方はいつでも自分で選択することができる」という考え方と共通します。「いやなことがあったから怒る」というのでは、自動操縦の飛行機と同じで、まさにロボットです。いやなことがあっても怒らないという選択肢があるのです。「ワーク」でも、それを教えていると思います。

 これが受刑者にどういう影響を及ぼしているかというと、それは計り知れないものがあります。グループの中での受刑者たちのやり取りだけでも十分に感動的でしたが、グループ外でも、他人の怒りに自動的に反応してケンカばかり起こしていた人が、他人の怒りに対してただ首を振って静かにしている、という変化が報告されていました。また、刑務所に入るまでは怒りのコントロールが課題だった人が、今では怒りをコントロールできる自信があるといっていました。なぜかというと、「ワーク」を通して、「自分はマッチョでいる必要はない。泣いても、感情的になってもオーケーだということがわかったからだ」と教えてくれて、とても感動しました。「自分が一番尊敬する人」をテーマにしたエクササイズもありましたが、そのときに、グループリーダーであるキャシーの名前を挙げている人がいたのも微笑ましかったです(なにしろむくつけき男性ばかりですから)。

 生育環境の中で怒りがコントロールできるということをどの大人も示してくれなかった、だから自分はここにいる、ということを言っている人もいました。でも刑務所に入ったおかげで「ワーク」に出会うことができたということを参加者はみな肯定的にとらえており、希望を見出すことができました。日本ではもちろん刑務所に入っても「ワーク」に出会えないので残念です。これは明らかに再犯防止にもプラスになるはずです。

アメリカ報告5 ―― ゲイのカウボーイ映画

 このタイトルに「?」と思われた方もいらっしゃるかと思いますが、実は、今アメリカで大変ホットな話題になっているのがこの映画です。

 Brokeback Mountainという映画なのですが、単なるカウボーイ映画かと思いきや、実はゲイの恋愛映画、というものです。なぜ話題になっているのかというと、アメリカでは、(ブッシュ大統領を見ればわかりますが)カウボーイというのは「男らしさ」の象徴。そのカウボーイがゲイだという設定そのものが、一部の人たちには受け入れがたいことになっているのです。

 聞くところによると、すでにユタ州ではこの映画を上映禁止にしたそうです。「そんなの憲法違反では?」とアメリカ人に質問してみましたが、「ユタでは14歳の少女との結婚が許されているのだ。あそこは私的クラブみたいな州だから、自分たちが決めれば何でも許されるらしい」との答えでした。
 とにかく、そのくらいに、赤の州(赤は共和党の色。赤の州というのは、大統領選でブッシュが勝った、保守的な州ということ。ちなみに、青は民主党の色で、カリフォルニアは青の州ということになります)を中心として反発が強いそうなのです。

 ただ、12月9日にたった6つの映画館(もちろん、サンフランシスコ、ニューヨーク、ロサンゼルスといった場所の映画館)で封切られたこの映画は、先週は683軒の映画館で上映されるまでに広がってきています(それでも、人気映画に比べればまだまだ3分の1以下という規模だそうです)。サンフランシスコやニューヨークだけではなく、リトルロック(アーカンソー州)やバーミングハム(アラバマ州)といった南部の都市でも予想以上に多くの人が観たそうで、アメリカが今や単に「赤の州」「青の州」に分けられるわけでもない、ということを示しているようです。
 この映画が今年のアカデミー賞のオスカーを受賞する可能性が高い、ということになって、騒ぎが大きくなっているようです。オスカーを受賞すれば、もっと多くの映画館が上映するようになり、「アメリカにゲイが広がる」と懸念している保守層がいるとか。ゲイについて全く理解していないといわざるを得ませんが、それほど恐怖が強いようなのです。

 私はまだ観ていませんが、実際に観た人の話を聞くと、「とにかく素晴らしい映画で、偏見が全くなくなった」という人から、「陳腐なラブストーリー。ゲイに対する偏見はもともとないが、映画としてはつまらない」という人まで、さまざま。ただ、ゲイも要するに人を愛する人間なのだということを描き出し、これだけ社会的な議論を引き起こしたという点では、やはり優れた映画なのだと思います。機会があったらぜひ観てみたいと思っています。

アメリカ報告3―――娘がチャータースクールに通い始めて」

 下の子ども(4歳)は昨年からモンテッソーリの保育園に通っていましたが、上の子ども(7歳)は今年の新学期からチャータースクールに通い始めました。さすがに7歳になると、英語がまったくしゃべれずにアメリカの学校に行くことがどういうことかを理解できますし、娘の日本の学校には日本語をまったくしゃべれずに入学・転校してきたクラスメートも複数いますので、自分に何が起こるかを十分に予測していた娘は、「学校に行きたくない」とずっと不平をこぼしていました。ただ、先行して保育園に通い始めた弟を励ましているうちに、自分もしっかりしなければと思ったようで、観念して通い始めました。

 ところが、初日から、娘の学校観は見事に変わってしまいました。そして、今では楽しそうに学校に通っています。何といっても、先生や友達の温かい支えが大きいです。みんな、少しでも日本語を覚えて娘とコミュニケーションしようと努力してくれますし(「もうじき娘も英語を覚えるから大丈夫よ」と言っても、「ううん、私たちも日本語を覚える」と言ってくれますので、英語ができないということで人格が否定されるわけではないということを示そうとしてくれているのだと思います)、娘が一人にならないように、学校でも学童保育でも、友達が気を遣ってくれます。

 娘のいる2年生は学校で一番人数の多いクラスなのですが、それでも19人で、担任と副担任の先生が二人でみてくださいます(カリフォルニアは州法の規定によって、3年生までは20人以下学級とすることが決められています)。教室の構造は日本の学校とは違い、先生の立つ場所をぐるりと囲むようにクラスの全員が座ります。ですから、席が前の子も後ろの子もおらず、皆が顔を見合える状態で座っています。
 学校が始まる前に担任の先生からクラスの基本的なルールを教えていただいたのですが、

(1) 授業中にトイレに行きたくなったら、手を握った状態(グーの形)で挙手をすれば、ホワイトボードにイニシャルを書いて出て行って良い。

(2) 本当に具合が悪くなったとき(吐きそうなときなど)は、とにかく外に出るなりトイレに行くなりして良い。

(3) 水(教室に飲水用の蛇口がある)は、休憩時間のみに飲むこと。作業の授業中は飲んでよい。

(4) 授業中の態度に問題があれば、まずホワイトボードに名前が書かれる。さらに問題があれば、その名前にチェックマークがつけられる。このチェックマークが二つになると、名前が丸で囲まれ、休憩時間なしとなる。

(5) 授業中の態度がとてもよい場合には、机の上のシールに先生がしるしをつけていく。このマークが30個たまると、記念のシールがもらえる。

(6) クラス全体の態度がとてもよい場合には、教室の前に貼ってある紙にマークがつく。これが100個たまると、クラスでパーティーをする。

 というきわめて単純なルールに基づいてクラスが運営されています。単純だけれどもなるほどと思わされるのは、まず、生理的な問題で子どもに不当な我慢を強いていないこと。また、悪いことをした場合も、先生の感情ですぐに怒られるのではなく、きちんとしたルールに基づいて、自分がどのくらい「休憩なし」に近づいているのかを自分で確認できること。これらは実社会においてもとても重要な原則だと思います。なんだかわからないルールで不当に自分を押し込めるのではなく、納得しながら責任を取っていくことは重要だからです。
 
 もう一つ感心しているのは、学校の先生がよくほめてくれるということです。私が(日本風に)「娘はご迷惑をおかけしていないでしょうか」というようなことを言うと、「ちゃんとやっていますよ。あなたは娘が良い子だということを知っているでしょう」とむしろ諌められますし、「彼女は本当に賢いし、良い子です。彼女の担任ができることはとても幸せなこと。あなたは娘のことを誇りに思うべきです」などと言ってくれます。もちろん初めてのことなので、とても嬉しいですが、ここでも感心することは、子どもを親の付属物のように言わないで、独立した人格として扱ってくれることです。

 娘はこちらでも学童保育のお世話になっているのですが、学童は校長室とメインオフィス(職員室というものがないので、ここが唯一の全校的な場所。といっても、女性が一人いていろいろと事務的なことを管理してくれているだけですが)の隣という、学校の中心に位置していて、雰囲気は日本の学童とそっくりです。日本と同様、娘にとって学童はかなりくつろげる楽しい場所のようです。

 アメリカは先進国の中でも出生率のかなり高い国ですが、暮らしてみるとそれを肌で感じます。私が住んでいるアパートは、4世帯が一つのブロックになっているのですが、同じ階の2世帯に、娘と同じ年頃の子どもたちが住んでいます(つまり、一つの階の4分の3に学齢期の子どもがいる)。我が家を含めて3世帯の子どもたちが、それぞれの家を訪問しあいながら、あるいは、アパートのすぐ下にある公園で、仲良く(時にはケンカをしながら)遊んでいる姿は見ていて嬉しくなります。ここも多国籍で、隣の家はインド人、その隣は金髪のアメリカ人です。金髪の女の子が、隣のインド人の赤ちゃんを抱っこしてあやしている姿は、なかなか良いものです。もちろん、そんなアメリカでも、「昔は暗くなるまで外で遊ぶのが子どもの仕事だった。今は危なくてそんなことはできない」と年配者が嘆く姿は日本と同じですが。

アメリカ報告2――― グローバル・ヒーリング会議

 新年あけましておめでとうございます。
 米国ではクリスマスがお祝いのハイライトで、新年はそれほどでもありません。クリスマス休暇に親戚を訪問したような人たちも、年末には戻ってくることが多いようです。さすがに1月1日は休みですが、ほとんどは1月3日から通常の活動が始まります。1月2日は休日らしいのですが、アティテューディナル・ヒーリング・センターをはじめ、2日から通常活動を始めるところもあります。

 北カリフォルニアは、雨季の最中で、毎日のように雨が降っています。年末年始は、河の流域を中心に洪水被害も出ました。我が家もようやくケーブルテレビの契約をしたのですが、テレビを見ていると、ピーっとアラームが鳴って、災害放送が入ります。「ベイエリア(サンフランシスコを含む湾岸地域。私が住んでいるところも、ベイエリアに含まれます)の災害報道をするため、番組を中断します」「これこれの地域の人は、何曜日の何時に洪水の危険性があるため、避難をお勧めします。シェルターにはペットは入れません。また、何曜日の何時までは高波の恐れがあり・・・」という具合に、かなり具体的な数字を盛り込んで繰り返し知らせてくれるので、様子がよくわかります。

 アティテューディナル・ヒーリング・センターは、私の到着直後から年末休みになってしまったので、センターそのものの活動はできませんでしたが、創始者ジャンポルスキー博士のおかげで、興味深い方たちに会う機会を持ってまいりました。その中の一人、ウィルフォード・ウェルチ氏から、とてもおもしろい国際会議を教えていただきました。日本人は一人も関わっていないそうなので、皆さまにもぜひお知らせしておこうと思います。

 その国際会議は、「Quest for GLOBAL HEALING II(地球レベルの癒しを求めて 第2回会議)」(以下、ここでは「グローバル・ヒーリング会議」と呼ぶことにします)というものです。

 私がお会いしたウェルチ氏は、米国外交官としてアジアでの長いキャリアを持ち、さらに新聞発行などさまざまな経験を持つユニークな方ですが、私と同じ関心を持つ人としてジャンポルスキー博士が紹介してくださいました。
ウェルチ氏は、「現状が問題だと思ったらまず何か自分でやるべき。誰かのせいにすることは簡単だけれども、それでは何の解決にもならない」という信念に基づき、同じ関心を持つ世界中の人をつなぐ役割を果たしています。彼が共同代表を務める「グローバル・ヒーリング会議」は、2004年に第1回会議が開かれ、本年5月に行われる会議が第2回となります。

 どういう集まりかをご理解いただくために、パンフレットの「お呼びかけ」の部分を以下に訳してみます。

■■■懸念を持った地球市民、ビジネスリーダー、学者、その他の改革者たちとともに、人類がこの地球で、もっと力を合わせて、平和に、持続可能に暮らせる未来を探索する、特別な集まりに参加しませんか? このユニークな集まりは、世界がどの方向に進んでいるのかということを懸念し、解決の力になりたいと思っている人たちのために創られています。「地球レベルの癒しを求めて」は、一歩を踏み出し、世界を変えるためにあなたが何をするかを決めるための機会です。■■■

 ウェルチ氏の言葉を借りれば、「これは普通の会議とはまったく違う。普通の国際会議というのは、参加者はずらりと椅子に座り、演者は、自分はいかに頭が良いかということを示すものだ。そういう会議に出ても、数日間は感動が残るが、数日後には普通の生活に戻ってしまう。われわれの会議は、もっとボトムアップで、完全な参加を求めるものだ」ということです。ただ、この「完全参加」を可能にするために、英語で本格的にコミュニケーションできることが参加条件になっています。日本人がまったくかかわれていない一つの理由がここにあるのではないかと思います。

 第2回会議には、ノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大司教(南アフリカの反アパルトヘイト運動家)、ウォルター・クロンカイト氏(「アメリカの良心」とも言われた著名なジャーナリスト。ベトナム戦争撤退のきっかけを作った)、ファティマ・ガイラニ氏(アフガニスタンの著名な女性運動家。訪日経験もあり、日本語ではファタナ・ガイラニと表記されていることが多いようです)を含む、大変魅力的な方たちが演者として参加されます。

 開催地は、バリ島のウブドです。自然と文化・芸術が見事に融合した町で、私も何度も訪れていますが、バリで会議を開くことにも意味があるそうです。バリの人たちは、毎朝、三つの調和を祈るそうですが、一つは、周りの人との調和。二つ目は、自然との調和。そして、三つ目は、スピリチュアルなものとの調和。このため、「バリの豊かな文化が、癒し、許し、(人や自然との)調和を学ばせてくれます」(パンフレットより)ということです。

 こんなすばらしい集まりになぜ日本人が一人もかかわっていないのかという話をしているうちに、またしても情報疎外について考えさせられました。
 政治の場にいても、国際的なニュースは、日本のメディアが報じない限り、日本人はほとんど知ることができません。イラクの問題にしても、郵政にしても、政府の言い分をそのまま報道するメディアからしか情報を収集できない日本人は、まさに洗脳されているのと同じような状態にあります。この問題を何とかしなければならない、と改めて感じます。

 「グローバル・ヒーリング会議」では私自身もワークショップを開催するように、とジャンポルスキー博士から勧めていただいたのですが、現在米国滞在中ということもあり、経済的にも難しそうです。その代わりに、言語の壁を越えて日本人が国際的なネットワークと協調していくための方法を、ウェルチ氏とも相談していきたいと思っています。

 もしも英語が堪能でこの会議に参加してみたいという方がいらっしゃいましたら、ホームページ(http://www.questforglobalhealing.org/index.htm)を訪問していただくか、私にご連絡ください。