新聞の書き方

 アメリカで新聞を読んでいて、ちょっと気づいたことがあります。それは、一言で言うと、記事に血が通っていて読むのが面白いということです。

 例えば、4月28日のサンフランシスコ・クロニクルの地域版(ベイエリア+カリフォルニア版)には、サンフランシスコの自動車事故が大々的に取り上げられています。

 ビュイックが赤信号に突っ込んで、駐車場に入ろうとしていたBMWにぶつかった、という事故です。この事故の結果、BMWの運転手が死亡し、8台の車が燃えました。大変な事故だったようです。

 この記事を読んでいくと、こんな箇所が出てきます。

 近くのバーにいたマイケル・ガンブルは、慌てて外に飛び出したが、デインという名前しかわからないホームレスがBMWに飛び込んで運転手を引っ張り出そうとしているのを見た。バーや周りの店から半ダースの人が出てきて、助けようとした。
「私たちは火を避けようとして消火器を持って出てきた」とガンブルは言った。「ガソリンが道中に広がっているとは知らなかった・・・デインは(BMWの運転手を)半分引っ張り出したが、そこで私たちはもっと消火器を持ってこなければならなくなった。私たちは運転手を引っ張り出して、わき道に寝かせた。目の前で人が死んでいくんだよ。人が死ぬところを見たい人がいるかい?」
 その頃には、最初の消防車が到着した。非番の消防士が蘇生をしようとしたが、(BMWの)運転手はその場で死亡した。(後略)

 この箇所を読んだだけでも、警察発表だけではなくきちんと取材していることがわかりますが、ホームレスをはじめとした人々の善意が読み取れ、悲惨な事故の記事であるにもかかわらず、絶望だけが残らないようになっています。

 日本でもこういう記事を読んだことがないわけではないのですが、それは善意に焦点を当てた記事であることが多いものです。「ホームレスがBMWの運転手を救助」などというタイトルがつくのでしょう。こちらの記事はあくまでも事故の報道で、タイトルは「衝突で運転手が死亡、カストロ地区が火の海に」というものです。
 
 メディアのあり方については過去にも取り上げたことがありますが、このような記事を読むと、単なる事故記事であっても責任を持って書かれているということを感じます。そして、社会の雰囲気作りに確かに一役買っていると思いながら新聞を読んでいます。